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サブカルチャー 2019.06.28(金)

『全身編集者』よんでみた:ロマン優光連載138

 

ロマン優光のさよなら、くまさん

連載第138回 『全身編集者』よんでみた

『全身編集者』(白取千夏雄/おおかみ書房)という本が一部の人たちの間で話題になっている。日本のサブカルチャー/サブカルの歴史に大きな影響を与えた漫画誌『ガロ』の編集者で、2017年に白血病で亡くなられた白取氏の自伝にあたる本だ。個人の運営するインディペンデント出版社が発行したメジャーの流通で扱われないような自主製作本であるにもかかわらず、商業誌のレビューに取り上げられるなど、注目を集めている。
 なぜ、注目を集めているか? 一つには、いわゆる『ガロ』分裂騒動についての、今まで正史として語られてきた青林工藝社サイドからの視点とは違う、別の立場にいた人間による当時の認識や見解が語られているという理由があるだろう。これまで、一方的に「悪役」として扱われがちだった青林堂側に残った人の立場からの視点は新鮮であり、これまで語られてきた正史を揺るがすような発見がある。余談ではあるが、こういった内容がふとしたことで消えてしまうblogではなく、物理的に形をもって手元に置いておける書物という形で残されたというのも大きな意味があると思う。大手出版社の発行物と比べれば確かに予算はかかっていないのかもしれないが、全体の装丁からデザインまで、愛情が込められた丁寧な作りがなされている。
 そういった部分を歴史の証言として資料的な価値を見出だしたり、サブカル・ゴシップとして楽しむような読み方をしている人は多いだろう。しかし、この本はそういった部分以外でも色々な読み方をすることができる本だ。
 函館で産まれた漫画少年が漫画家を目指して上京するが、『ガロ』の創始者である長井勝一氏との出会いを経て、ふとしたことから編集者になり、様々な人たちとの出会いを重ねながら編集者として成長していくビルドゥングスロマンとして読むこともできるし、最愛の妻である漫画家・やまだ紫との出会いから彼女の死による別れまでを描いた愛の物語を読み取ることもできるだろう。人生の最終局面における一人のボンクラな若者との出会いによって、生涯を編集者として全うすることになる師弟の物語を読み取る人もいるだろう。たとえ、『ガロ』について知識が無かったとしても、白取千夏雄という一人の人間がどう感じ、どう考え、どう生きていったかを知っていくことは非常に心動かされる読書体験だろうと思われる。『ガロ』分裂騒動の記述にしても、真実がどうであるかというより、白取千夏雄という人間がその時にどう思い、どう感じていたかということ、そこから彼の考え方や人となりを読み取ることの方が私にとっては興味深いことだった。
 先ほどボンクラな若者(もう、若者というほどは若くはないが)と表現したのが、おおかみ書房の主宰であり、本書の編集人である劇画狼氏だ。10年かそこら前の自分の周りの漫画好きな人たちの氏に対する認識は「色々と(ひどい漫画を)掘ってるし、センスもいいけど、書き手としては特に飛び抜けたところのないブロガー」といった感じだったと思う。ようするに漫画批評をしたい人という認識だったのだ。今にして思えば、それは見当違いであって、劇画狼氏は、自分が思う面白いものを世に届けるために著者に対しても読者に対しても最高の形を作りたいという編集者タイプの人だったのだろう。
 ホラー誌ブームの時に描かれた三条友美先生の埋もれていきそうだった奇妙なホラー短編群。文章のリズム感の力で突っ走る、下品極まりなく役に立たない、ひたすら面白いだけで全く意味がない(最大級に誉めてる)掟ポルシェの商業出版で出すことは不可能なコラム集。そういった、多くの人が求めているわけではないが必要とする人は必ずいるような作品を、最高の形で出版し続けてきたのがおおかみ書房だ。そこに氏の本領はあったし、それは白取氏との交流の中で磨かれていったものでもあるのだろう。
 白取氏の死去により本編は中断され、本書の最終章は白取氏の死後に劇画狼氏によって記されている。それは死期を悟った白取氏と劇画狼氏の間で既に折り込み済みのことであり、与えられた条件の中で最高の形で本を完成させるための編集者としての判断だったのだろう。そして、『ガロ』分裂騒動時の青林堂取締役編集長であった山中潤氏(この人も「悪役」とされる立場の人だ)によるあとがきでは、白取氏が『ガロ』分裂騒動時の真相として語ったことがいくつか覆される。
 普通ならば、著者の自伝であり遺作であるような作品に、著者の発言を覆すような文章を入れることはないだろう。しかし、劇画狼氏は編集者としてそれを行った。それは正しかったのだろう。山中氏の文章は白取氏とかっての『ガロ』への切実な想いで溢れていて、白取発言に対する訂正も身を切るような想いで書かれているのが伝わってくる。ここにあるのは真実がどうとかそういうものではなく、「想い」なのだ。
 こういった構成によって、「作家」というものが想い至ることがないようなやり方、編集者という人種にしかできないようなやり方で、白取氏と劇画狼氏は本作にさらなる深みと凄みを与えることに成功している。その本文ラストの劇画狼氏による 〝でも、教えてもらった通りにやったから、最後には楽勝でしたよ。〟
 という一文。そこに込められた想いを私は正確に知ることはできないのだが、色々な意味で心が揺り動かされる。本編の文章から構成にいたるまで『全身編集者』というタイトルに相応しい内容の一冊であり、それを手掛けるに相応しい編集者によって産まれた一冊なのだと思う。

(隔週金曜連載)

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