
「日本人の美徳」本当はまったく美徳じゃない真実

【本記事は前編記事。後編記事はこちら】
自画自賛が氾濫する日本
故安倍晋三元首相がかつて書いた本のタイトルは『美しい国へ』でした。そして本屋に行けば、「日本はすごい」だの「日本人は素晴らしい」だのといった本が並んでいますし、テレビをつければ外国人を相手に日本のことを自慢して悦に入っているような恥知らずな番組が大量に垂れ流されています。
他人が誰も褒めてくれないから、自画自賛で自らを慰めるというこの自慰行為をみるにつけ、我が国もついにここまで転落したかと情けないことこの上ありませんね。
まぁ右傾化しようと、逆にリベラルに振れようとも一向にかまいませんが、むしろ気になるのは、メディアが自画自賛する日本人の資質は本当に美徳なのかということ。
というわけで、日本人が美徳だと思っているものはことごとく勘違い、という現実をあまねく検証したところ、間違った美徳が合計16個もあったので、前・後編記事に分けてこってりご紹介します!
美徳01
「礼儀正しい」
確かに日本人は一般的に礼儀正しいかもしれません。しかし、その礼儀正しさは、残念ながら周囲に気を遣ってのものではありません。日本人の礼儀正しさは、なんとなく強要される社会のルールに従ったものでしかなく、相手に気を遣ってという礼儀の本来の目的からかけ離れたものです。
その証拠は飲食店での客の態度にあります。考えてみてください。飲食店の従業員に対して傲慢な態度をとる日本人がいかに多いかを。言うまでもなく従業員であっても相手は人間。いくらお金を払うからといっても、見下したり、横柄な態度で対応したりはありえません。にも関わらず、客と店員という関係性になった途端に態度が豹変する。そんな日本人の礼儀正しさなどクソのようなものです。
美徳02
「責任感がある」
この「責任感がある」も日本人が自分たちを自画自賛する時によく口にするセリフです。ただし日本人で積極的に責任を果たしている人は皆無と言っていいでしょう。大抵の日本人は事なかれ主義なので、自分に与えられた仕事や役割を無難にこなすことを考えます。なので波風を立てずに日々の生活を送っているだけの状態が責任感があるというふうに見えてしまうのです。
それにそもそも責任感があるということが美徳なのでしょうか? つまらない責任感に縛られて、動けない、何もできないではお話になりません。そんな人生がつまらないことは、火を見るより明らかですし、尊敬にも値しません。
美徳03
「規則正しく時間に正確」
時間に正確なのは人として正しいあり方かもしれませんが、あまりにきっちりしすぎなのも融通が効かなさすぎです。日本人は総じて時間にうるさいので、公共交通機関はほぼ時刻表通りに運行されますし、ピザ屋の配達は基本的に30分以内です。
しかし電車が遅れたからと言って駅員に暴言を吐いたり、ピザが来るのが遅いからと言って配達のアルバイトにブチ切れたりということが常態化している社会というのはいかがなものでしょうか? 日本人は時間を使うのではなく、時間に縛られて、時間に使われていると言っても過言ではありません。まさに本末転倒ですね。
美徳04
「協調性がある」
協調性といいますが、それは良く言えばのことでただ主体性がないだけです。大抵の日本人は周囲の空気と顔色ばかり気にして、ただ流されて生きています。それを協調性という言葉を作って美点にすり替えるというセンスは尊敬に値しますが、それ以上でも以下でもありません。
これは国際社会における日本にも当てはまる話だったりします。周辺諸国の顔色ばかり読んでいたら、すっかりババを引かされて、大損しまくりです。
美徳05
「すぐ自分の非を認める」
“潔い”と言いたいんでしょうが、そんなものはクソくらえって話ですよ。自分の非をいちいち簡単に認めていては、この世界では上手に生きていけません。しかも場合によっては自分が悪くないのに、日本人は非を認めてしまいます。別に謝るべきところは謝ってもいいですが、とりあえず一度考えてから頭を下げたほうがいいのではないでしょうか?
美徳06
「清潔」
“清潔”も結構ですが、行き過ぎた“清潔”は、ただの“潔癖”です。もちろんトイレや水回りが汚れて汚物やカビがこびりついているなんてのは論外ですが、チリ一つない環境を常に求め続けるのはいかがなものでしょうか? とりわけ自然のものを嫌悪する態度には疑問をおぼえます。
カップ焼きそばの中にゴキブリの1匹や2匹入っていたところで死にゃしません。少なくとも昭和の時代はもっとおおらかでした。潔癖も結構ですが、結果的に子どもたちの免疫力は低下しているようです。完璧にバカの所業です。
美徳07
「嘘をつかない」
嘘をつかないと言ってもバカ正直なだけでは何も考えてないと同意ですし、嘘が上手につけてこそサルではなく人間です。はなっから嘘をつくという選択肢を放棄している時点で、考えることも同時に放棄しているわけですから。
ちなみに嘘もまともにつけない人間はビジネスでも恋愛でも、間違いなく負け組です。だから日本人は当然のように、世界で勝負した場合、狡猾に嘘をつく外国人たちに遅れをとり、苦杯をなめさせられてしまうのです。
【本記事は前編記事。後編記事はこちら】
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