箱根駅伝が若手アスリートを潰す現実
2023.01.04(水)
ヤングアスリートの悲しい未来
2023年も大盛況のうちに終わった東京箱根間往復大学駅伝競走、通称・箱根駅伝。
団子状態の中でエースが競い合う2区や山登りの5区などと、毎年ヒーローが生まれるが、彼ら箱根駅伝のスターがそのまま長距離選手として大成した事例はほとんどない。それどころか、箱根駅伝がアスリートの可能性を潰している可能性すらあるのだ。
箱根駅伝のスターと言ってまず思いつくのが、東洋大学の柏原竜二だろう。2009年の1年時からめざましい活躍で、4年連続で5区を任され4年連続の区間賞、3回の区間記録を樹立。弱小であった東洋大学を率いて3度の総合優勝を果たした山の神である。
しかし、大学卒業後は苦難の連続だった。
マラソン選手に転向するも、自己ベストは2時間20分45秒と平均以下の成績に終始。さらに怪我が頻発するようになり、2017年に人知れず引退した。現在は箱根の季節になると解説などでテレビで見かけるがまだ33歳。箱根の華々しい活躍と比べれば、なんと寂しい現在の姿だと言わざるを得ない。
失意の死を迎えた例も
2区で圧倒的なスピードを見せつけた、山梨学院大学のケニア人留学生ジョセフ・モガンビ・オツオリ。1989年に各校のエース7人をごぼう抜き。箱根4年の間で区間賞を3回授賞した記憶に鮮明に残る選手だ。
しかし、大学では図抜けた存在だったにも関わらず、オツオリも相次ぐ怪我に悩まされ30歳でケニアに帰国。2006年に交通事故によりケニアで死亡した。山梨学院の留学生はみな箱根で大活躍したが、五輪に出場するような名ランナーはいまだに生まれていない。
他にも、ミスター箱根駅伝と呼ばれた早稲田大学の渡辺康幸は、アトランタ五輪出場選考レースを怪我で欠場し号泣。10000mでの出場となった。しかし、そのトラック種目でも怪我を理由に予選から欠場し、日本中を失望させた。
行き詰まりを見せる箱根システム
このように100年近い歴史の中で、箱根のスターは大学卒業後ほとんど大成していないことがわかる。期待以上の活躍をしたのは、東京五輪で活躍し、2時間5分台の自己ベストを持つ大迫傑1人くらいだろう。
箱根駅伝で活躍しても世界では活躍できない理由として挙げられるのが、走る距離の微妙さにある。箱根駅伝は1人20キロ近くを走るが、ハーフマラソンは五輪にも世界陸上にも採用されていない。20キロ走に特化した練習などというものは世界で活躍するためにはムダなのだ。また、タスキを繋ぐという独自の文化による根強い精神論の影響は無視できない。無謀な練習、強固な人間関係。燃え尽き症候群に陥ってしまう選手が多いし、酷使による体の蓄積ダメージはプロ転向後に現れることも。
あくまで見世物として楽しむなら別だが、選手の未来を思えば箱根のあり方を考える時期に来ているのかもしれない。