アンパン顔のヒーローが日本をダメにしている4つの理由
2014.06.04(水)
長期間に渡る経済の低迷、中韓をはじめとする周辺諸国との不協和音、凶悪化する少年犯罪、失敗の許されない格差社会の進行と、ここ二十年あまりで、かつては栄華を誇っていたはずの日本も著しく劣化。
では、なぜこんな社会になってしまったのか? 子供たちの人気者で、愛と勇気だけしか友達がいなくて、弱者に自分の顔を食べさせたがる、そう、あのアンパン顔のヒーローのアニメの影響も多大なのです。子供アニメ界のタブーともいえるこのテーマについて、様々な視点から検証しました。
1,実は自己犠牲なんかでは全然ない
あのアンパン顔のヒーローは困っている人に自らの顔の一部(要するに単なるあんぱん)を差し出します。この行為をメディアは「自己犠牲精神溢れる優しい行為、まさに作品の通底にあるヒューマニズムを表現している」などと勝手にもてはやします。が、そんなことはありません。そもそもあの頭はおじさんがパンを焼けばすぐに代替可能なシロモノです。本当に自己犠牲精神の尊さを描くなら、彼が体ごと丸ごと焼かれて子供たちに食べられる話をつくるべきなんです。
また、優しく接すれば物事が何でも解決するかのような誤解を与えるのも良くありません。騒音おばさんは人に親切にされてもきっとうるさいままだったでしょうし、中途半端な善意が一番危険です。
ここ数年の軟弱な日本外交もアンパン顔ヒーローの思想に近いものがあります。近隣の国が困っている時にアンパンをあげても実際には感謝されず一方的にタダ食いされています。なのになんでも土下座外交をし過ぎです。
2,本当の悪がいないことによる錯覚
玩具大手B社が2002年から調査している「子どもの好きなキャラクターランキング」であのアニメは11年連続1位という不動の人気ぶり。だが、子どもに見せ続けることで、現実が直視できない悪影響もあるのです。
一応、アンパン顔のヒーローの世界ではバイキンのキャラクターが悪役ですが、倒されても殺されるワケではありません。何度も何度もチャレンジし、アンパン顔のヒーローに立ち向かいます。こちらもアンパン男の顔が再生可能なようにいくら失敗しても再挑戦可能なんです。その根底にあるのは、結局アンパン顔のヒーローの世界には本当の悪はいない、という生ぬるい表現。現実と大きくかけ離れ、夢の国にいるかのように錯覚します。
でも、現実の世界は哀しいかな違います。どうしようもなく悪い奴がたくさん存在し、多くの犯罪がはびこっています。実際、アンパン顔のヒーローのアニメを放送しているテレビ局にだって、過去に不祥事を起こした方はたくさんいます。 子どもの頃から、こんな理想的な世界だけのアニメを見ていたら本来の世界との距離感を見誤ってしまうこともあるでしょう。
またこの作品が超人気コンテンツのために、後進に道は譲られず新しい子供向けコンテンツがあまり誕生しない点もおおいに問題です。
3,アニメ放映時期と少年犯罪の変化が符合
アンパン顔のヒーローのアニメが放映され始めたのは1988年(昭和63年)10月から。実は、翌1989年4月に小学校に入学した世代から、のちに「キレる14歳」などと形容された凶悪犯が続出しています。影響ととらえるのは早計かもしれませんが、その後も少年・青年による大型の凶悪犯罪が続出し、社会問題化しているのは周知の通りです。
4,テーマソングの歌詞の宗教感と刷り込み
原作者が作詞したテーマ曲は、さながら新興宗教の教祖の講演のよう。生きることの意味をひたすら問い詰めるような内容です。人生に意味を見出すことをとにかく強調しています。
しかし、実際には自分の人生に意味を見出すことができる幸福な人はごくわずかしかいません。グッズの販売で人生の後半を豊かに過ごされた原作者のような成功者であれば意味を見いだせるのかもしれません。最近の若者が就職難を苦に自殺してしまうのも、この強者の論理によって成り立つ歌を幼少時から聞かされたからということも全くないとはいえないのでは。
一部海外では受け入れられ難い感覚
幼児期にアニメを鑑賞して育つこと自体はやむないことと思いますが、海外では同作がいくつかの国で放映されたものの、カニバリズム(食人文化)、言動の宗教性・自己犠牲の精神性などで受け入れられづらいとされているようです。他の作品でも、ドラえもんが児童に依存症を呼ぶとして、一部で社会問題化したことがあります(タイ)。日本ではあまりこれらが問題になることはありませんが、寡占化しがちな子供向けアニメ作品による深層心理への影響のあり方については、国内においても様々な言及や議論が行われてもいいのではないでしょうか。
(文・編集部)写真:h_okumura(from Flickr CC-BY)