
平安時代の結婚は逆玉が普通だった!? 男が羨む婿入り婚

女の実家が男を養う、古代の結婚ルール
年収300万時代といわれる昨今。結婚して妻子を養うことを強要されても、理不尽な気がしている男性も多いことでしょう。なぜか現代では「男が女を養う」ことが当たり前とされていますが、中世くらいまでの日本では、そうでもなかったようです。
平安時代、結婚は男が女のもとへ通う「通い婚」でした。子どもも母親の家で育てられるため、問題だったのは男性の経済力よりも女性の実家の経済力や家柄。もちろん男性も官位や家柄などが問われましたが、男性は入り婿になって女性の実家の財産を受け継ぐのが常識でしたので、身分が多少低くても、仕事ができなくても、結婚によって一発逆転が狙えたのです。逆に母親の身分が低いと出世もできませんでした。例えば源氏物語の主人公である光源氏は、天皇の子どもでありながら、母親の身分が低く下野せざるを得ませんでした。そして、左大臣の娘を正妻とすることで、人生の逆転を狙ったのです。
後年、光源氏は「六条院」というハーレムのような大御殿を建てます。でも、この「六条院」、六条御息所という愛人の持ち家を受け継いだものなのです。なぜ、ただの愛人だった女性の財産を相続できたかというと、身よりのない六条御息所が亡くなった時にその娘を引き取って、養女のように世話をしていたから。その縁で、源氏は六条の屋敷と土地を引き継ぎました。その広さは「四町」。あの藤原道長ですら「二町」の屋敷に住んでいたというのですから、ものすごさがわかります。
正妻にもしなかった愛人の財産をもらうなんてヒドい話ですが、さらにヒドいのはこの御殿にほかの愛人を全員呼びよせて住まわせたこと。しかも、その愛人たちの財産もすべて引き継ぎ、その財産を保管する倉まで作っていました。今なら袋叩きにあいそうな話ですが、こういった相続も、妻の財産を夫が相続・管理するのが普通であった平安時代ではさほど常識はずれではなかったようです。
逆玉に乗り、妻があっても実家で遊んで暮らしたり、愛人の家に入り浸ってマイペースに生きていた当時の貴族の男性は、そんな自由な生活をしながら、最終的に妻や愛人の実家が持つ膨大な財産を手に入れました。一人の妻に吸い尽くされる現代の日本の男性にしてみれば、羨ましい限りの話です。
(文・プル子)
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