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アイドルの「いい下手さ」とは:ロマン優光連載113【2018年7月13日記事の再掲載】

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113回 アイドルの「いい下手さ」とは

アイドルを音楽という側面から考えてみると、それは不思議な存在であって、ボーカリストとして技術的にちゃんとしていることが必ずしも求められているわけではない。

歴史を振り返って考えてみるに、現代のアイドルの雛型的なものが生まれた’70~’80年代、芸能の世界で若いタレントを使って商売をしようとする際、音楽というツールが利用されていただけのことであり、タレントの事務所サイドの全てに「素晴らしい音楽を作っていこう」という意思が必ずしも存在していたわけではないだろう。歌手としての未来を見据えて育てていこうとしていた事務所も存在するだろうが、多くは今どうやって稼ぐかということがメインだったのではないだろうか。

しかし、タレントの事務所サイドの志が音楽的に低かろうと、実際に音楽を制作するのはプロの音楽人であって、ある意味グッズでしかないようなものを作るにしたって、いいかげんなものを作るのはプロのプライドが許さないわけで、クオリティの高い楽曲を制作しようとするのは基本的には当たり前のことだろう。

しかし、実際に歌う人間の多くは音楽的な才能によって選ばれたわけではなく、人気者になる才能を見いだされた人間なわけで、必ずしも歌手としての技量が備わっているわけではない。初期のアイドルポップスの多くは高い音楽性とつたない歌唱によって構成されるミスマッチな音楽だった。

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単純な意味での音楽としての完成度を考えればこれはマイナスでしかないのだが、多くのアイドルポップスにとって一番重要なのは、誰が歌っているかということだ。あくまでタレントがメインであり、音楽はメインではない。歌をを売ろうとしているわけではなく、タレントを売ろうとしているわけで、音楽はタレントが媒体に出るための手段であって目的ではないのだ。そのために制作されているのだから、ボーカリストとしての技術があろうがなかろうが、その人でやるしかない。どんなに音痴だろうがリリースされることになる。

そういった部分をアイドルファン以外の人たちはバカにする傾向があったし、まともな音楽として認められていないものであったのだ。もちろん、いわゆる歌手としての才能を発揮したアイドルもいて、世間に広く受け入れられることもあった。しかし、そういった人たちは「アイドルを超えた」「もはやアイドルではない」という言説で評価されていたわけで、アイドル自体はやはり低いものとして世間の多くの人に認識されていた。

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