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売春の日本史~整備したのは豊臣秀吉?

2019.07.30(火)


 格差社会の深刻化により、おカネに困っている若い女性が気軽に風俗店で働いたり、SNSで援交など売春行為に励んでいますが、それは決して今に始まったことではありません。むしろ「人類最古の職業」と形容されるほど歴史あるもので、日本においてもそれは同様でした。

 ではその具体的な歴史とは、一体どういうものだったのでしょうか?

 日本における売春の起源はイマイチはっきりしていません。それらしき記録が残っていて、さかのぼれるのは奈良時代ごろになります。759年頃に編まれた、日本最古の和歌集『万葉集』に「遊行女婦(うかれめ)」との描写があり、これが売春および娼婦についての最古の記述だと考えられるそうです。平安時代の11世紀末には、公家で漢文学者の大江匡房がそのものズバリの『遊女記』という書物を著しました。これには、当時西国から京への通り道にあたる神崎川に、「江口」「神崎」「蟹島」などの売春街が発達した様子が描かれています。遊女たちは小舟に乗って通行する舟に近づき客をとり、利用者は水面が見えないほど多く、客層も貴族から庶民まで幅広かったとのことです。江口や神崎だけでなく、この時代になると各地で港町が整備され、交通の要衝ともいえる町に遊女が集まり売春が行われていた様子。なかでも「室津(現・兵庫県たつの市)」は「遊女発祥の地」とされ、水夫相手の売春宿が数多く立ち並んでいました。
 鎌倉時代以降も、有名な寺社がある門前町や港町など人が多く集まる場所で、自然発生的に売春が行われていたようです。そのような場が増えるにつれ管理をする必要が生じたためか、歴史書『吾妻鏡』には、里見義成が鎌倉幕府初代将軍の源頼朝から遊君別当の職に任命され、遊女の選抜や、訴訟などを担当したとの記述が存在。これが行政が売春を管理する公娼制度の起源ではないかと推測されます。ちなみに同時代では白拍子などの芸能集団や、巫女が本業の合間に売春を行っていたという説もありますが、真相は薮の中。恐らく不特定多数を相手にしていたわけではなく、自身のパトロンに今で言うところの枕営業のようなかたちで体を売っていたと考えるのが自然でしょう。
 室町時代になっても、公的な記録はそれほど多くありません。1528年に幕府が傾城局という部門を設置し、娼婦から税金を徴収していたことが分かっていますが、どこまで強制力があったかは不明です。
 そんななか、乱世を統一するだけでなく、売春の整備も進める人物が現れました。織田信長の遺志を継ぎ、天下統一を実現した豊臣秀吉です。83年に、秀吉は、大坂城の築城とそれに合わせた城下町を造り、現在の道頓堀川の北岸に遊郭を設置。89年には、京都二条柳町にも設置を認めました。その後、1602年には徳川家康が関ケ原の戦いで炎上した二条城を新しく建設するのにともない、二条柳町の遊郭を六条三筋町に移転させます。これが後の三大遊郭の一つである「島原」の基礎となることに。

 秀吉の治世を経て江戸幕府の成立以降、各藩が城下町を整備するのにあわせて、遊郭など公娼制度の整備はさらに進むことに。殿様から町民までが気軽に利用できる売春黄金時代の到来です。特に幕府が置かれた江戸は、参勤交代で全国から武士が集まり男性人口が多かったため、遊郭が繁栄するのは自然のことだったのでしょう。
 現在も知られる「吉原」が幕府公認の遊郭として成立したのが二代将軍・徳川秀忠の時代の1617年。それまで江戸市中に散在していた遊女屋を一つに集めて作られました。地名の由来は、元々の土地が埋立地でヨシが繁茂していたため。最初は葭原(よしわら)と呼ばれていましたが、縁起の良い字にかえて「吉原」となったようです。当初、吉原があったのは、今の中央区日本橋人形町付近。現在の吉原(ソープランドが密集している台東区千束)に移転するのは、57年の明暦の大火で遊郭が消失したあとのことになります。


※続きは実話BUNKA超タブーVol.33に掲載されています。現在、主要電子書籍サイトで電子配信されており、今すぐ続きを読むことができます。


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