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生活・知恵 2016.04.03(日)

空前の「猫ブーム」の先に見える日本社会の地殻変動とはなにか。古谷経衡『ヒトラーはなぜ猫が嫌いだったのか』書評(評者/田中秀臣)


「猫性社会」と「犬性社会」という社会的イメージの相克をもとに描かれた「西洋と日本の社会史」

 “日本を元気にする逸材125人”(『文藝春秋』2016年2月号)の中のひとりとして、ラグビーの五郎丸歩やノーベル賞受賞者の山中伸弥らなどと肩を並べて、本書の著者古谷経衡が登場していた。現代の日本を代表する言論人としての評価が認められてのエントリーであった。編集部に推薦したのは評者であるが、膨大な候補者の中から選ばれたのは、ここ数年の意欲的な古谷の活躍が評価されたためであったのは疑いない。

 古谷の言論活動の特徴はなによりも、党派的な立場から距離をおく批判的精神として表現することができる。代表作である『左翼も右翼もウソばかり』(新潮新書)の題名はまさに古谷の特質を見事に表現している。この極端な政治的立場からの“距離感”(=自由)は、古谷でさえも一朝一夕で身につけたものではない。およそ良質な批判的精神の誕生が、時代との格闘の果てに生まれるように、古谷のそれもまた苦難の果てに生み出されたものだ。評者はここ数年、幸運にも古谷の傍で、その格闘を目撃してきたと自負している。まさに「自由」は戦いの中でしか掴み取ることができないのだ。

 古谷の最新作である本書は、まさにこの「自由」をめぐるものだ。しかも自由を体現する社会的イメージとして猫が全面に登場してくる。なぜ猫なのか?

 古谷は一例として江戸時代後期の絵師・歌川国芳の浮世絵を例示する。その浮世絵には年長の子供たちが年少の子供に礼儀作法を教える様が描かれている。注目すべきなのは、その構図の中に猫が登場していることだ。猫は子供たちに対して後向きで描かれている。つまり猫は人間社会の「礼儀」に代表される権威的構造に対して自由なのだ。

 国芳だけではない、古谷は本書を通じて猫の社会的イメージには、「自由、放任、個人主義」を良しとする社会(猫性社会)への志向が込められていることを、欧米や日本の歴史の中に題材を求め明らかにしている。この猫性社会に対立するものとして登場するのが、「忠誠、従順、服従、上位下達の縦型構造」を重んじる犬的性質をよしとする「犬性社会」だ。

 本書は単に猫好きな人が自由であり、犬好きな人は服従を好む、という個人の好みへの断罪ではまったくない。古谷が本書で明らかにしたのは、猫と犬の社会的イメージの向こう側に透けてみえる、その時々の社会の傾向性である。特にヒトラーのナチス政権が好んで採用した犬の社会的イメージをたたき台にして、空前の「猫ブーム」が現出している現代日本の社会の向かう方向を鮮明に描くことに本書はそのすべてを賭けている。

 それだけではない。本書はまた「猫性社会」と「犬性社会」という社会的イメージの相克をもとに大胆かつ周到な配慮で描かれた「西洋と日本の社会史」でもある。まさに「古谷史観」の全面展開なのだ。

 ヒトラーとナチス政権はその冷酷無比な社会構築にあたって犬のイメージを利用した。もちろんそれは国家=ナチスへの隷従と忠誠をもとめる手段としてのものだ。この犬性社会に適合しない、またはしないとみなされた人たちは徹底的に排除されてしまう。ユダヤ人たちの陥った環境のように最悪、死に追いやられてしまった。このような異端者を排除する仕組みとその思想的連関は、中世の魔女狩りから近代のロマン主義、社会的ダーウィニズムの隆盛などにもみることができると指摘している。他方で、日本社会はどうか?

 古谷は、猫性社会=自由を志向する社会は、だいたい織豊政権から江戸時代を経由し、1930年代の戦時統制に入る前までであるとする。戦時統制時代から日米戦争、そして1995年の戦後社会までは犬性社会であり、国家や企業などへの忠誠が重んじられた社会だという。1995年以後は、企業社会の大変容などを背景にして、個々人の自由を志向する、しかしいまだ本来的な自由を得るには至っていない動的なプロセスの中にわれわれはいる、と古谷は見ている。古谷史観は実に面白く、またさまざまな切り口―それは前述の浮世絵の参照などに典型的―で読者をぐいぐい引き込む力がある。

 本書を読んでいくと、古谷がいままで経験してきたウソをつく「右翼」や「左翼」とのリアルな戦いを想起せざるをえない。彼は特定の党派であることを強制するグループや組織、個人たちと一線を画すことで、自ら「孤絶」の道を選んできた。古谷の言葉を借りれば、それは「ぼっち」の道でもある。本書でもその「ぼっち」の視点は猫性社会という概念装置を通してより徹底したものになっている。

 かつて国際的に著名な経済学者のケネス・ボールディングは著作『ザ・イメージ』の中で、社会的イメージにおける個々の主体と権力との相克を分析した。本書もまたそれに勝ることあれ劣らない。猫(自由)と犬(強制)という社会的イメージの大衆的消費のあり方をとおして、われわれの生き方のあるべき方向を描き出した実に独創的で大胆な文明論である。

【プロフィール:田中秀臣】(たなか・ひでとみ) 昭和36年生まれ。上武大ビジネス情報学部教授。専門は日本経済思想史、日本経済論。早稲田大学大学院経済学研究科博士後期課程単位取得退学。主な著書に『デフレ不況』(朝日新聞出版)、『AKB48の経済学』(朝日新聞出版)、『ご当地アイドルの経済学』(イースト新書)など多数。


書籍情報: 『ヒトラーはなぜ猫が嫌いだったのか』(コア新書)著・古谷経衡 定価:本体787円+税 http://books.rakuten.co.jp/rb/13874967/
http://www.coremagazine.co.jp/book/coreshinsho_018.html
古谷経衡(ふるや・つねひら) 1982年札幌市生まれ。著述家。NPO法人江東映像文化振興事業団理事長。立命館大学文学部史学科(日本史)卒。政治、社会、サブカルチャーなど幅広いテーマで執筆評論活動を行う一方、TOKYO FMで番組司会も担当。著書に『左翼も右翼もウソばかり』(新潮新書)、『愛国ってなんだ』(PHP新書)、『若者は本当に右傾化しているのか』(アスペクト)、『欲望のすすめ』(ベスト新書)、『クールジャパンの嘘』(総和社)、『ネット右翼の終わり』(晶文社)、『戦後イデオロギーは日本人を幸せにしたか』(イースト・プレス)等多数。




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